Knock’in On Heaven’s Door

評価:★★★★☆

Knock'in On Heaven's Door

まず最初に、この映画はれっきとした“アクション映画”である。

映画自体の売りもそこであろうし、「カーチェイス」や「銃撃戦」といった要素も兼ね備えている。

しかし、この映画には見る人を魅了する“人間性”が多分に描かれている。

馬鹿げた目的

私達は常に、一人の人間でしかない。

一つの人生を全うし、一つの死を受け入れる存在という意味だ。

故に自己の欲望を抑制し、「手段を選ばず」ということを真に達成できないときもある。

特にそれがあまりにも馬鹿げた目的のとき、無意識に回避してしまうものであろう。

でも、主人公ら2名は、世に言う「馬鹿げた目的」のために、「手段を選ばない」行動に出る。

そしてその道中に起こる様々な事件を、自己の欲望のままにやり過ごしていく。

その根底には、映画の冒頭に出てくるある事実とそれに起因する心理が多大な(というよりむしろ絶対的な)影響を与えているのだけれど、私にはその行動自体の“無邪気さ”の方が印象深い。

もう一つの人生としての映画

映画(に留まらず様々な作品)は、我々のもう一つの人生とも言えるのではないだろうか。

もちろんそれは他者の生み出した分身であり、あくまでも自らの育んだものではない。

しかし、その作品を通し、あらゆる体験や感情を自己に回帰させることが出来、それが一つのヴァーチャルな人生を生み出すと考えられる。

作者はなにかしらの意図を持って作り、そこに外に向かうべきメッセージがこもっている。

でも、それを見る人=受け手が、同じように感じる必要はなく、それぞれの感じ方・捉え方をし、その解釈をもって作品を自分に取り込んでいくというのは、とても自然な方法論なんじゃないかと。

「もし人生がもう一つあったなら」等という愚考はしない。

しかしながら、「もう一つの人生」に想いを馳せ、それを生み出すことが、唯一絶対に存在するこの「たった一つの人生」をより豊にするのではないだろうか。

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